どうもgive-keyです。
今回は瞑想実践編ということで、先ずは瞑想プログラムMBSRとは何ぞやと言った話から、瞑想初心者に合った瞑想方法を解説し、最後に8週間のMBSRに取り組んでもらいます。
そもそも瞑想ってどんな効果があるのって思っている方は、こちらの
3つのメリットをご覧ください。
はっきり言って、瞑想をやらない理由はありません。
私たちが何気なく過ごしている日常で、何を意識して行動しているかなんて考えたことありますか?
家族との時間でも仕事の事を考えていたり、旅行に行っても見知らぬ土地をまんべんなく見渡さないで、目的だけ達成する旅行になってませんか?
情報に溢れた世界で、何かに注意を向けて、集中する力というのは衰えているのではないでしょうか。
それもそのはずで、多大な情報を処理するためにはその場で捌くか、持ち越して熟考したりと思考に余裕がないからです。
この瞑想プログラムを受けた被験者は、瞑想の恩恵を授かってる研究が沢山報告されています。
瞑想というのは、意識をある一点に集中するトレーニングです。
言い換えれば、注意集中力を鍛える脳の筋トレとも言えます。
注意集中力を鍛えれば、家族との時間に意識を向けることで信頼関係を築けたり、幸福度が向上しますし、旅行先に行っても見たことのない景色、匂いを鮮明に感じれるようになって、沢山の刺激を受ける事が出来ます。 これだけでも私たちの人生の満足度は爆上がりです。
これが人生を変える所以なんですね。
そんな瞑想の恩恵を受けるための瞑想プログラムをこれから解説していくので、よかったらチェックしてみて下さい。
参考文献
ボブ.スタール(2013).マインドフルネス・ストレス低減法ワークブック
MBSRについて
MBSRとは(Mindfulness-Based Stress Reduction)の頭文字から取ったもので、「マインドフルネスストレス低減法」と呼ばれています。
そもそも、瞑想というのは「仏教」が起源とされています。
それこそ2500年前ほど遡ります。 瞑想というのは、「無」になってとか、チャクラがどうのこうの、とかではありません。
「ただ今の瞬間の全てを受け入れる」「この瞬間に感じる感情や、目の前で起こっている事を全て受け入れて、流していく」
皆さんが思っている瞑想というのは、宗教の側面が強いイメージですが、その考え方を科学として取り入れて再調整したのが、マインドフルネス瞑想なんですよね。
このマインドフルネス瞑想を創案したのは、マサチューセッツ大学のジョン・カバット・ジン博士です。
1979年に同大マインドフルネスセンターにマインドフルネスストレス低減プログラムを導入したのが始まりと言われています。
この「仏教」の考え方として、一つ背景を紹介すると、 現代ほど医学や薬、病院が発達していない時代で、病からの苦しみや、死への恐怖などが今よりも身近だったはず。
その中で心の平安を保ち、苦しみや様々な不安を受け入れ、幸せに生きる術が瞑想だったそうです。 つまり、現代医学では対処できない慢性疼痛(トウツウ)(特定される原因がないのに、痛みが続く慢性的な状態)の患者に対して、このMBSRを受講してもらって、完全に痛みが消える訳ではないですが、痛みに注意が向いてしまう人生から抜け出そうとした訳です。
実際に、このMBSRはそういった患者の痛みと共に歩む人生を開拓し、痛みが気にならなくなって普段通りの生活を手に入れる事が出来たそうなんですね。
更にはこのMBSRは、鬱の治療にも効果的だということが分かっており、それがキッカケで世界中に知れ渡った有名な瞑想プログラムという訳です。
瞑想の効果を最大限に引き出す7つの基礎
これから瞑想を行なっていただくに当たって、大前提をお話ししなくてはなりません。
よく、瞑想の効果が出にくいという人がいますが、瞑想は自分の在り方を基本とするので、その前提が間違っているんですね。
瞑想に対して疑いを持っている状態で、瞑想をしても効果は出ませんし、その反対のなんの曇り一つなく瞑想の効果を信じ切っている人に対しても効果は期待できません。
この記事を書く前に瞑想のメリットを解説してきましたが、その効果は瞑想の最中や、プログラム期間中には考えないでください。
あくまで瞑想に興味を持ってもらいたくて先にメリットをお伝えしましたが、この効果の事を期待しても、瞑想は上手くいかないので注意してくださいね。
とりあえず、試しにやってみるかという感じでやってみることを強くお勧めします。
そして瞑想が始まったら淡々と、ただ瞑想中のことのみに注意を向けて下さい。
そして、その大前提の上で瞑想の7つの基礎をこれから解説していきます。
自ら判断を下さない
私たちの心の反応は、起こった出来事に対して勝手にラベルを貼って分類しています。
起こった事が私たちにとってポジティブな事なら「良い事」とラベルを貼るし、逆にネガティブな事なら「悪い事」とラベルを貼るし、何も心が反応しないなら「中立」というラベルを貼っている自動反応なんですね。
先ずは、この認識を一歩引いた目線で気づいていきましょう。
そして、なにがそういった心の反応をさせているのかを中立的な目線で展開して、それにしっかりと気づくことです。
例えば、瞑想中に失恋したことがふと思い出してしまったとします。
失恋は私たちにとって「悪い事」として、ラベルを貼っているのが大半だと思います。
そして、失恋が「悪い事」としてラベルを貼られている事に気づいてあげます。
瞑想中はそのネガティブな要素に引っ張られる事無く、あくまでも一歩引いた目線で、その「悪い事」の思考を観察します。
ネガティブな要素を受けると「胃の下の奥の辺りがズシッと重い感じがするな」といった体の反応を観察したり、呼吸がすこし早くなっていることに気づいてあげたりなど、その感情を受け止めて、観察して受け流していくといった感じです。
辛抱強くあること
マインドフルネス瞑想は即効性があるものではありません。
先ほど説明した通り、効果を期待して瞑想を始めると、その恩恵を早く受けたいがために焦ってしまったり、はたまた効果が全然でないといって途中で諦めてしまったりするかもしれません。
そうすると、今この瞬間に注意が向かず、未来の自分に周囲が向いてしまいますので、私たちの思考が色んな所に飛んでしまって迷子になってしまいます。
因みにこの文献ではこんな風に書かれてしまいました。
「さなぎが蝶になるタイミングはその蝶自身である、早く蝶にさせたいゆえに勝手にさなぎを破る行為は子供の無慈悲な優しさであり、基本その蝶はその優しさの恩恵を受けない」
結局、私たちの中にある忍耐力が、いつかキレイな羽を広げるための必要なツールだという訳です。
ビギナーズ・マインドであること
「知っている」という状態は、知識であり、経験でもありますので、これは人生の豊かさに繋がるものです。
ですが、ある側面では、邪魔になるものなんです。 それは、「あるがままの状態」を認識する上で、経験がそれを妨げるからです。
その事象の結果を知っていると、未来を予測し期待しますよね。
例えば、砂糖を舐めたらどんな味がするだろうと予測した場合、私たちは砂糖を日常的に摂取しているので「甘い」という未来を簡単に予測できます。
砂糖を舐める行為の先に「甘い」と知識としてあったら見た瞬間でも「これは甘い」と認識してしまうんですよね。
この行為が「あるがままの状態」を認識できなくなるんです。
よって、瞑想中は、ビギナーズマインドで取り組む必要があります。
例えば、日常生活で毎日やっている習慣を始めてやっているかのようにやるといいです。
朝起きたときの歯磨きを始めてするかのような感覚を持ったりだとか、毎日顔を合わせている人(恋人、配偶者、仕事仲間、友人)に対して初めて会ったかのような感情を持って接してみて下さい。
上記の砂糖の例題でも同じです、この白い結晶を初めて見たかのように観察し、初めて砂糖は甘いと認識するかのような感情を抱くことが大事です。
自分が感じたことを信じること
基本的には瞑想中は自分の感じ方や、自分自身に信頼をおいて下さい。
私でも、瞑想プログラムを創案した人でもありません。
瞑想プログラム中に自分自身に感じたものは、絶対に耳を傾けてあげる事が重要です。
そして、この基礎の最も大事な所は「私たちは他人にはなれない」ということです。
この瞑想プログラムを始める動機として、誰かの成功体験に瞑想を始めたからと聞いたからという方もいるかもしれません。
それはそれでいいですが、結局その人にはなれない事を学ぶ必要があります。
私たちが辿り着く場所は自分らしく生きることです。
まずは、自分の感じ方を尊重しましょう。
努力しないこと
私たちが何かを習慣化するためだったり、何かを成し遂げる時だったりするときは、必ず努力が必要です。
それは、現時点でその習慣や能力を持っていないからですよね。
それは逆説的に今の自分をあるがままに受け入れていない事になります。
瞑想というのは、ただ今この瞬間に注意を向けて、判断せずにひたすら観察することです。
緊張しているなら緊張している自分をひたすら観察するし、批判的ならその批判思考について観察するのが瞑想です。
この参考文献では、MBSR参加者にこう言っています。
「この瞑想プログラムを始める前に、瞑想で達成したい目標を3つ書き出してください。 例えば、集中力を改善したいとか、質のいい睡眠を手に入れたいとか、家族関係を良くしたいとかでもいいです。 そのかわり、8週間の瞑想プログラム中はその目標を一切考えないでください。」
つまり、目的を達成しようと行動するのではなく、今のありのままの自分を受け入れて、ただひたすら観察して受け流しましょうということなんですね。
受け入れること
受け入れるというのは、例えば頭が痛いと感じてるならば、この痛みを受け入れることを言います。
もっと言うと、太っているのなら、太っている現実を受け入れましょうと言っています。
これは何かというと、現実を受け入れないで否定する余計なエネルギーを減らして、自分を癒すためのエネルギーとして活用しようという事なんですね。
ネガティブなことから避けて、ポジティブな物しか受け付けないと言った、自分にとって都合の悪い現実から目を背けるのではなく、そのネガティブな事すらも受け入れましょうというのがこの6つ目の基礎になります。
人ってどうしても現状に満足できないから、その事実を否定したがるんですね。
しかも否定を繰り返すことで、ほとんどの労力を使っています。
因みにその心理を悪用して心の隙間に入ろうとしているビジネスを「今、この〇〇セミナーに目を留めたのは、あなたが引き寄せた転換期です。
この引き寄せの法則によってあなたは今までの上手くいかない人生から必ず脱却できる方法をお教えすることが出来ます。」といった自己啓発セミナーとかです。
これが、目の前の認めたくない現実から目を背けた結果なんですよ。
どうですか?心当たりありませんか?
手放すこと
インドのサルの話をご存じですか?
インドってサルを食べる習慣があって、比較的知能が発達したサルを罠にかけるのは容易じゃなかったんですが、一つ巧みに作られた罠が紹介されてました。
それはココナッツを使った罠なんですけども、このココナッツをくり抜いて、更に木に括り付けて、サルの手がギリギリ入る穴を空けておきます。
そのくり抜いたココナッツの中にバナナを仕込んでおくんです。
そうすると、サルはそのバナナが欲しいので、ココナッツの中に手を入れてバナナを掴んで引き抜こうとするんですが、この後どうなったかと言いますと、 ギリギリ入る穴なので、バナナを掴んだ状態で引き抜こうとも抜けない訳ですよ。
物理的に引き抜けなくしているんですね。
更にここから面白いのは、そのサルはなんと、ずっとバナナを離さなかったそうです。
サルは食べ物に執着してしまったが故に、自らの意志で罠として成立させている事が分かると思います。
では私たちにとってのバナナは何かといいますと、 他人の成功体験や、他人からの評価です。
何度も言っている通り、私たちは他人にはなれませんから、他人の成功体験や評価を気にする必要なんてありません。
ですが、第三者の目線が自分の評価となり、他人にどう思われているかが自分の価値となり、他人の成功体験が妄想となり、自分の事を見れてあげられていないこと、他人によって苦しめられていることに気づくべきです。