どうもgive-keyです。
今回は、人間関係に必須なスキル、コミュニケーションスキルについて焦点を当てて、紹介したいと思います。
自分の気持ちや考えを伝えるときに、あなたがどのように伝えているかを客観的に自分自身を見ている人は少ないかと思うんですよね。
というのも、自分の家族や、恋人、上司に対して会話している時に
「この発言をすると相手のトラウマに触れるかもしれないから遠回しで伝える方法ないかな」
「あなたのその発言、特に言い方に不快感を感じているからやめて欲しい」
といった、冷静に自分の発言や自分の心の動きを観察しながら会話する事なんてほとんどないと思います。
逆の立場でも自分の発言が相手にどのように伝わっているか確かめようもありません。
つまり、少なからずネガティブな感情を胸に秘めた状態で会話を続けているのが大半なんじゃないかと思うんです。
実はこれが、気づかないうちに相手の攻撃性を増す言葉を発してしまう原因になっているんですね。
要は、ストレスを抱えながら会話することで、ストレスが会話相手にも伝搬し、人間関係を崩壊させるきっかけになります。
マーシャル・B・ローゼンバーグはこういった攻撃性のある対話を覆すために、平和的な対話だけでなく、新しい自己確立も内包した「Non-Violent Communication」、通称「NVC」を提唱してます。
新しい自己確立というのは、双方が妥協して解決策を模索するといった方法ではなく、当事者双方が敬意を払って解決を目指すことに重きを置いています。
何を必要としているかをお互いにたずね、感情を荒立てる事無く、先入観を失くして相手と意思疎通を図る
これこそがNVCの神髄となります。
それでは、ここからは詳しく説明していきましょう。
参考文献
NVCのプロセス
NVCの神髄は、簡単に言ってしまえば「人を思いやす力」の事を指しています。
ただし、これは相手がNVCに精通している必要はないんですね。
相手が、心を通わせたいと寄り添っている必要がなく、あくまでもこちら側がNVCの原則に忠実である限り、こちら側に誠意があれば、時間の経過が相手の心を紐解いてくれて、人を思いやる心が開花するものなんだと、マーシャル氏は伝えています。
NVCの原則とは
心の深いレベルで自分が何を必要としているのか、相手が何を必要としていることに意識を向ける事で相手との関係も新しい視点から理解する事
その原則を達成するために4つのNVCプロセスで構成されています。
観察(Observations)
第一の要素は「状況を観察すること」です。
相手が言ったことや、行動したことが、自分の人生にどのような影響をもたらすのかを、自分の判断や評価を交えずに述べる事がコツとなります。
つまり、相手への好き嫌いは抜きにして、相手がしている事をシンプルに述べるだけというもの。
感情(Feelings)
第二の要素は「相手の行動を観察したときに、自分がどう感じるか」を述べる事にあります。
例えば、傷ついている、ワクワクしている、イライラしている、怯えているといった感情を素直に表現します。
必要としていること(Needs)
第三の要素は「そのような感情が生まれるのは、自分は何を必要としているのか」を明確にします。
なぜそのような感情が生み出されているのか、自分の状態を明確にするプロセスというのはこの「ニーズ」を自覚することにあります。
要求(Requests)
そして最後の要素は「ニーズを理解した上で、すかさず自分のニーズを満たす具体的な要求」を相手に伝える事です。
自分の人生を豊かにするため、素晴らしいものにするための大事なプロセスとなります。
NVCとは、この4つのプロセスを、忠実に言葉、言葉以外の伝達方法で明確に表明することであり、また相手からの4つのプロセスを受け取ることで円滑なコミュニケーションが生まれます。
自分以外の誰かが、何を観察し、どんな感情を抱いているのか、何を必要としているのかを感じ取る、その接点が出来た時にさらに相手の要求を受け取り、人生を豊かにする方法を見つける。
こういったように、4つの事に集中すれば、また相手にも同様にこれらの4つのことに集中できるように援助する事が出来れば、円滑なコミュニケーションが生まれ、心が通じ合うといったことが可能になります。
LAC(Life-alienating Communication)
先程は、「相手を思いやるコミュニケーション」を紹介しましたが、今度は逆に「思いやる気持ちを妨げるコミュニケーション」、通称LACについて紹介します。
このコミュニケーションは、無意識のうちに行っているものもあれば、思いやる気持ちがあるのにある言葉を使うだけで、むしろ相手に対して暴力的に働く一因ともなりえるものが存在します。
道徳を振りかざす
心の底からの訴えを妨げるコミュニケーションの一つに「道徳を振りかざして人を裁く」コミュニケーションを取るというものがあります。
これは、自分の価値観にそぐわない態度をする相手に対して、「間違っている」「相手が悪い」とほのめかす方法です。
例えば、
「君はあまりにも自分勝手すぎる、それが君の悪い癖だ」
「そんな風に解釈するなんて、偏見に満ちている」
といったものです。
こうして、相手を非難したり、批判、侮辱、レッテルを貼るといったものは全て、相手を裁く言葉だと言います。
要は、自分のフィルターにかけて、周りを正しいか、間違っているかどうかという、評価を下し、それを押し付けているに過ぎません。
難しい問題を出す先生は、
「意地悪な」先生、「理不尽な」先生であるし、
下を向いて歩いている男性を見れば、
「陰湿な」男性、「気弱そうな」男性。
このように、人と人を区別する言葉が多数存在しますが、その言葉を使うだけで勝手にジャンルのふるいにかけられ、勝手に決めつけられる結果となります。
分類作業や分析ばかりに注意を払い、自分の価値観と照らし合わせてどの程度間違っているのかを見定める事しか頭にない場合、他人が何を必要としているかについて関心を払いません。
仮に「難しい問題を出す教師」が満たしたい要求が
「生徒の学習レベルを引き上げ、自信を持ってほしい、受験で一回り大きな自己像で臨んで欲しい」
という可能性だってあります。
そういった分析行為は、裏を返せば己が必要としていることや、価値観の訴えでもあります。
比較する
私たちは、比較する事でも人を評価します。
この比較する行為は、私たちの内面にかなりの影響を与えるものとなります。
ダン・グリーンバーグ氏は自分が提唱した著書の中で、自分の人生を惨めなものにしたいと心底願うのであれば、是非とも他人と自分を比べればいいとまで提案してます。
例えば、
「とある韓国アイドルになりたくて、インスタでアップしている服を真似ようと、購入にまで至ります。インスタグラムでアップされていた写真はとてもスタイルが良くて、色やポイント刺繍など、とても魅力的でした。」
「いざ購入した服が届いて、着てみると意外と悪くないと本人は思えてきます。少しでも、とある韓国アイドルに近づけたかなとワクワクしています。」
ここで、一つ提案するとしたらこうです。
「アイドルが着ている写真と、自分が今着ている姿を写真に撮って、比較してみて下さい」
どうでしょうか。
比較思考が、自分と自分以外の人を思いやる気持ちをどれほど妨げるかは理解できるかと思います。
責任を回避する
自分の責任を回避することもまた、LACの一つとなります。
私達が感じた感情や、思い浮かべた思考、行動には全て責任が付きまといます。
そのように反応したのは、誰のせいでもなく、自分から湧き出たものだからです。
しかし、この責任の自覚を鈍らせる言葉が存在します。
それが「~しなければならない」「~のせいで」というフレーズです。
「~しなければならない」は、「自分の意志に関わらず、やらなくてはならないことがある」といった言い回しをすることで、その行動の責任は誰になるのかが曖昧になりますし、
「~のせいで」という言い回しは、自分の感情と思考に責任を負う事を回避するよう促している言葉になります。
例えば、
「私が煙草を辞められないのは、ニコチン中毒だからだ」
「子供が道路に飛び出したから頭を叩いた」
「これは校則違反なので、停学処分にしなければならない」
といった言葉は、まさしく責任を回避しているものとなるんですね。
強要
自分の願望を押し付ける事もまた、人を思いやる気持ちを阻む話し方です。
強要するというのは、これに従わなければ避難や罰が待ち受けているぞと暗に伝えているのと同じだからです。
これを頼るのは、とりわけ権威ある地位についている人物に多い傾向ですね。
また別の視点で見れば、親という権威を持った人物も当てはまるでしょう。
自分の子供に対して、自分の任務は真っ当な人物に育てあげ、躾ける事だと信じている親は、このコミュニケーションを息をするように行っているでしょう。
言う事を聞かないのならお仕置きで脅し、行動させる。
強要と要求は全くの別物だと再認識する重要な部分だと、改めて検討する必要があります。
動機付け
ある行動は報酬の対象だったり、そのほかの行動は懲罰の対象だったりとなる「動機付け」思考も、同様にLACとなります。
例えば、「~に値する」という表現は、ある行動をとった人間に対して善悪の評価を勝手に下し、行動の継続を強要したり、はたまた悔い改めるように行動させることが必要だと思わせます。
このように、心の底からの訴えを妨げるコミュニケーション(LAC)の根底には、人は生まれながらに不完全な状態であると強調され、本来あるべき姿に矯正させるために教育が必要だという考え方が昔から根付いているとマーシャル氏は伝えています。
更にそういった教育の結果、自分の必要としている物に目を向ける事が出来なくなり、やがてはそれらを無視することでバランスを保つよう学んでいるんですね。
ヒエラルキーや支配構造がある会社によって、少数の人間が己の利益の為に多数を統制し、奴隷と同じ扱いを矯正し、損理状態を改変させられる教育プログラムが存在していると思うと少し怖いものがありますよね。
評価を交えない観察
いよいよここからは、NVCの4つのプロセスをより深く解説していきます。
最初のプロセスは、「観察すること」でしたよね。
この観察部分で最も重要視されているのは、「評価と切り離して観察する」ことなんですよ。
具体的に言えば、自分の状態を左右させる五感を刺激するものを、評価を交える事無く明確に観察するといったものです。
このNVCでは、如何に自分の状態を客観視できるかが肝となっており、明確に率直に人に伝えることが、このプロセスの重要な要素です。
評価と観察を混合するとどうなるかと言いますと、こちらが伝えたいメッセージが相手にちゃんと伝わる可能性を減らす危険性があるんですね。
言葉と暴力には相関性があることが、研究で明らかになっている通り、私たちの言葉には不安定ながら強力な力を宿しています。
故に、評価と観察を混合して伝える事によって、相手は批判されたと受け止める可能性もあるんですね。
それでは、観察と評価を区別したテンプレートをいくつか紹介します。
「彼女の仕事は締め切りに間に合わないだろう」
これは、観察と評価を混合した例になります。
これを切り離すと、
「彼女の仕事が締め切りに間に合わないとは思わないが、彼女が間に合わせることが出来ないと発言していた」
「バランスのとれた食事を摂らなければ、健康を損なってしまう」
これは、観察と評価が混合した例です。
再度、観察と評価を切り離してみると、
「私は、あなたがバランスの取れた食事をしなければ、あなたの健康をこそなうのではないかと心配だ」
といった具合です。
なんとなく掴めましたか?
感情を表現する
では二つ目のプロセスは「自分がどう感じているか表現する」ことです。
自分の感情は多種多様で、複雑で繊細で微妙なニュアンスさえも含んでいます。
こういった感情をしっかりと見極めて、適切に表現する事がNVCの2つ目のプロセスになります。
よく感情を表現するのに「~と感じる」という言葉がありますが、この表現は実際に自分の感情を表現していません。
この表現はあくまでも意見を述べているにすぎないからです。
例えば、
「私は仕事で公平な扱いを受けていないと感じる」
といった言葉というのは、自分が「公平に感じていない」という意見を述べただけなので、正しくは、
「私は仕事で公平な扱いを受けていないと思う」
と表現するのが的確です。
他にも「~であると」「~のように」などと一緒に使うと、感情そのものを表現していないことが多いんですね。
「あなたはもっと彼女のことを知っておくべきであると感じる」
「孤独のように感じる」
また、私、あなた、などの代名詞と一緒に使うことも同様です。
「それは無駄のように感じる」
「私はいつもあなたに待たされているように感じる」
逆を言えば、「感じる」といった言葉を使わなければいい話で、「寂しい」なら「寂しい」と表現すればいいんですね。
NVCとは、「自分が何を感じているのか」と「今の自分をどう思っているか」を区別するものという事を理解しておきましょう。
また、自分以外の人の行動や態度に関しても、「自分がどう思っているのか」「自分がどう感じているのか」を区別する事が重要です。
例えば、
「一緒に仕事をしている仲間たちから必要とされていないように感じる」
「必要とされていない」という言葉は、自分が他人からどのような評価を受けているかを推測しているなので、実際の感情ではありません。
この場合、
「一緒に仕事をしている仲間たちから必要とされていないと感じて、とても悲しい」
が、自分の感情です。
漠然とした表現や一般的な表現を使うのではなく、特定の気持ちを示す言葉を使うようにしていきましょう。
そのためには、感情を表現する語彙を増やすことで、自分の気持ちを明確にして的確に表現できるようになるので、より他人と気持ちを通い合わすことが可能になりますし、自分の弱さを感情で表現できれば、対立の解決に繋がる可能性があります。
感情の根底を見極める
NVCの第三要素は、「自分の感情の根底にある必要としている物を見極める」ことにあります。
私たちの言動は、自分の感情を刺激する事はあっても「原因」になることはないんですね。
よって、NVCの実践はその自覚を強め、人の言動をどう受け止めるかを「選択」する余地を与えて、自分の感情を作り出す行動に責任をもつように仕向けていきます。
その選択肢は大きく分けて4つあるので紹介します。
ここでは、「否定的なメッセージを受け止めた時の4つの選択肢」を例として解説していきます。
自分自身を責める
第一の選択肢は、自分への非難もしくは批判として受け止めることです。
例えば、
「君みたいな自己中心的な人間は初めてだ!」
と目くじら立てて私に発言したとします。
この言葉を個人的な言葉の暴力と受け止めれば、「私は、人の事を全然考えていなかった」と反省するかもしれません。
このように、「自分を責める」選択肢を選べば、罪悪感や、絶望感へと繋がり、自尊心が損なわれてしまいます。
相手を責める
次に、相手の落ち度をあげつらう事を選択した場合です。
揚げ足を取るとも言いますが、
「そもそも、君にそんなことを言う資格はない。私はいつだってあなたが必要と感じている事を考え、実行に移している。自己中心的なのは君の方じゃないか?」
と主張する事が来ます。
こういう言い方をすると、当たり前ですが相手の怒りを買う傾向にあります。
自分の感情と、自分が必要としていることを感じ取る
3つ目の選択肢は、自分の感情と必要としている事に意識を向けるといった方法です。
この場合、
「先ほどのあなたの言葉を聞くと、常にあなたを優先して、必要としている事を満たしてあげようと努力して認めて欲しかったのに、とてもその言葉に傷つきます。」
といった反応になります。
これは、自分の努力を認めて欲しいという欲求と、それを蔑ろにされて傷ついているという感情を意識する反応です。
相手の感情と、相手が必要としていることを感じ取る
最後の反応は、相手がどんな感情を表現しているのか、どんなことを必要としているのかに注意を向ける選択肢です。
先程の例で言えば、
「あなたは、自分の好みにもっと配慮するように求めていたから傷ついて怒りをあらわにしているのですか?」
と、問いかけてみるのもいいでしょう。
この選択肢を選ぶときに、自分は何を必要としているのか、何を望んでいるのか、相手にどんな期待をしているのか、どのような価値観や思考を持っているのかを自覚できるようになっておかなければなりません。
そうすることで、相手を責めずに自分の感情に自分の責任を負うことが出来るからです。
自分が必要としている事を知るには
相手を判断したり、批判したり、評価したり、解釈を加えたりするというのは、実は自分が必要としていることが満たされていないという遠回しの訴えなんですね。
「誰も自分の事を分かってくれない」
というのは、裏を返せば理解されたいというニーズが満たされていないからなんです。
妻がこういうフレーズを伝えてくる時もそうです。
「毎晩、残業ばかりでろくに家に帰ってこなけど、そんなに仕事が好きなのね。」
これも、もっと家族の時間を費やして二人の幸せな時間を共に過ごしたいと必要としているからこそ、満たされていないという訴えなんですね。
ただ悲しい事に、そういった訴えは伝わるどころか反感を買いかねませんし、より複雑な問題に発展する可能性を孕んでいます。
ではどうすればいいかと言いますと、
最初から自分が必要としていることを相手に表現しておけば、満たされるチャンスに恵まれるという事です。
これが、自分のニーズを理解する、また相手のニーズを理解する目的なんですね。
ただ、一方でこういった発言もあるのも事実です。
「自分の言い分、必要としていることを周りの人に発言すると、批判を浴びるかもしれないと怖く感じてしまい、消極的になっていしまいます。」
こういった内容の多くが女性から告げられてきます。
昔から大和撫子の風習を持った日本文化では、自己犠牲的なイメージを植え付けられ、自分を押し殺し、夫や男を立てて世話をするのが女性としての最高の務めという社会的教育を受けてきている事実がどうしても、自己を無視する原因となるんですね。
ですが、自分が必要としていることを自分自身で重視しなければ、人もあなたの事を一生重視しません。
どうしても、自分の必要としている事を叶えようとするものの、消極的な口調で相手を責め立てるような言い回しになってしまい、逆に相手に反感を買う羽目になるからです。
であるなら、初めから自分のニーズを理解し、それを前提に伝えることが相手にもしっかりと伝わります。
感情の奴隷から解き放たれる3つの段階
先程のように、相手の感情を優先し、皆の幸せを保つため、自己犠牲精神によって自分の時間と自由を浪費する関係から解き放たれるためには、3つの段階を経験して自由になるケースが多いようです。
第一段階
この第一段階は「感情面の奴隷状態」と言われていて、
「自分は誰かの感情を幸せにする責任がある」
と考える段階です。
結局、誰かの幸せの為に、何かをしなくてはならないと強迫観念にかられる状態に陥ってしまっているんですね。
例えば、恋人が必要としている事を懸命に探し、叶えるために尽力するし、その目標の弊害となる自分の必要としていることは押し殺す。
といった関係を構築している方によく見られる段階です。
この考え方は、相手のつらい姿を見るたびに自分を見失ってしまいますし、相手を依存的にさせてしまいます。
お互いが感情の奴隷から脱却できず、二人の関係を危うくさせてしまう要因となってしまいます。
第二段階
この第二段階になると、自己犠牲で他人の感情に責任を持つことのリスクに気づく段階になります。
今まで自分の有限な時間をどれだけ無駄にしてきたかを自覚していくので、「怒り」を伴う危険性があります。
例えば苦しんでいる人を見ても、
「その問題はあなた自身のものだ、私はあなたの感情を世話するお守り役ではない」
このように人の感情に振り回されずに、責任を負う必要が無いことが明らかになった段階です。
ただし、今度は他人に対しての感情に対応する方法を学ぶ必要があります。
第三段階
この段階になると、「感情面からの解放」段階となり、ここでようやく相手が必要としていることに思いやりを持って反応し、決して罪悪感や、恥の意識から反応する事がなくなります。
具体的に言うと、自分の考えと行動に責任を持つという事は、相手のニーズを理解しようという行動に責任を持つという事になります。
他人の感情に責任を負うのではなく、あいてが必要とすることを満たすことに関心を寄せているのだと相手に伝わるようなやり方で、コミュニケーションを取っていきます。
人生を豊かにするための要求
これまで、NVCの3つの要素を取り上げて解説してきました。
先ずは観察し、自分が下す評価と判断を分離させ、純粋な事実を相手に伝えるためのものでしたよね。
そして、その内容に自分の感情を明確に乗せて、自分の感じている物を相手に伝えることにありました。
その後に、自分が必要としている事、相手が必要としている事を自覚して、それを思いやりを持ってコミュニケーションを問う方法を学びました。
いよいよ最後のNVCプロセスは「人に対する要求」を行うことです。
これまでの3つのプロセスを経たうえで、自分が必要としていることを満たすだろうと思われる行動を取ってもらうように、どのようにお願いすればいいのか、相手が思いやりをもって、私達が必要としてくれることに答えてくれやすくなるように要求する事が出来るかを考えてみましょう。
肯定的な言葉を使う
要求するときは、「~して欲しくない」「~していない」といった否定的な意味を連想させる言葉を使うのではなく、「~して欲しい」「~したい」という肯定的な言葉を使って表明しましょう。
否定的な言葉を使う事で、本当のところは何を要求されているのかが良く分からなくなるからです。
更に否定的な言葉は、相手の反発心を煽りやすいので折角の要求が不透明になります。
例えば、
「毎日夜遅くまで残業して欲しくないから、あまり無理しないで」
といった要求をしたところで、本質の部分としては
「少なくとも休みの前の日とかでも早く帰ってきて、家族と家で一緒にゆっくりと過ごしてほしい」
とかだと思うんですね。
最初の要求を伝えると恐らく
「家族を養うために頑張っているんだ、それを君は理解してくれて無いってこと?」
となり、喧嘩の火種が燻ぶり始めるのが分かると思います。
相手を気遣うあまりに、曖昧な言葉を使ったせいで相手に混乱を与え、防衛的な行動や反応を連鎖せると、こちら側にもそのネガティブな感情が伝染するので、お互いを理解し合うようなコミュニケーションは取ることが出来ません。
僕達が相手に何かを要求したいときは、明確に、具体的で肯定的な行動を促す言葉で要求を表現していきましょう。
それだけで、僕達が本当に望んでいる事がハッキリしてくるはずです。
意識的に要求する
僕達の要求というのは無意識に「~してほしい」と要求する事があります。
例えば、あなたが喉が渇いているとします。
家族が冷蔵庫の前にいるのを見かけた時にあなたは、
「喉が渇いた」
と冷蔵庫の前にいる家族に叫ぶはずです。
ですが、この要求は不快感を満たしたいという要求で、これが相手に伝わるものだと勘違いしていることが多いんですね。
妻に食器洗いをお願いされて自分なりに洗った後にこう言われた経験ありませんか?
「食器がまだヌルヌルしてて気持ち悪いんだけど」
これは、
「もう一度、洗剤を付けて丁寧に洗ってほしい」
という要求を伝えているつもりかもしれませんが、これでは妻が夫に対してダメ出しをしているんだと解釈される可能性があります。
自分の要求が正しく伝わっているのか確認する
自分が発するメッセージは、必ずしも相手に正しい意味で届いているとは限りません。
そうした中で、自分の意図した通りに受け止められたのかを確認するために必要な問いかけが必要です。
ただし、相手の受け止め方が間違っていた場合、一方的に指摘するのは非難されていると受け止められるので、この伝え返しを要求する意図は、自分の伝えたいことが伝わって欲しくて確認しているだけなんだと、しっかり説明するようにしましょう。
まとめ
今回は、NVCテクニックの基礎というところで4つのプロセスを紹介しましたがいかがだったでしょうか。
極端な話、この4つのプロセスのいずれか一つでも意識して会話しようとするだけでも、相手との接し方、相手の暴力性が静まって冷静に話し合ったりすることが出来ます。
是非ともどれか一つでも会話術として取り組んでもいかと思います。
次回はそんなNVCテクニックを鍛える8つのテクニックを紹介するのでお楽しみに。
それでは今回は以上です。
それでは。



